認知(にんち)という言葉はご存知ですか?

よく、親が子を認知する、という使い方がされますよね。

今回は、親が子を認知すると、それぞれの戸籍にはどう表示されるのかをお話したいと思います。

その前に、非嫡出子嫡出子の違いをお話します。

嫡出子と非嫡出子の違い

非嫡出子(ひちゃくしゅつし)という言葉をご存知ですか?

婚姻関係にない男女の間に生まれた子のことを、非嫡出子といいます。

反対に、婚姻関係にある男女から生まれた子を嫡出子といいますね。

この嫡出子と非嫡出子、いったいどんな違いがあるのか、ご存知ですか?

一番大きな違いは、相続のときに現れます。

父親の相続において、嫡出子は父親を相続しますが、非嫡出子は父親を相続できません。

これは何故か?

それは、非嫡出子と父親は確かに血はつながっていますが、親同士(父と母)が婚姻関係にないため、父親と子は「法的な親子関係」がないと判断されるためです。ややこしいですね。

そこで、法的な親子関係を発生させるために、父親が非嫡出子を「認知(にんち)」することができるのです。

認知がされることで、父子関係が法的に認められ、子は無事に父親を相続できるようになります。

行政書士 タカ行政書士 タカ

ちなみに、平成25年までは非嫡出子の相続分は嫡出子の相続分の1/2だったのですが、現在は法律が改正され、相続分はどちらも同じとなりました。

嫡出子と非嫡出子がわかったところで、今度は父親が非嫡出子を認知した場合に、両者の戸籍上ではどんなことが起こっているのかを、例を挙げつつ見ていきましょう。

非嫡出子を認知した場合の戸籍の表示

非嫡出子は父母が婚姻関係にないため、生まれると母の氏を称し、母の戸籍に入ることとなります。

仮に父親がその後に認知をしたとしても、それだけで父親の戸籍に入る、なんてことはなく、母親の戸籍に在籍したままとなります。

しかし、父親が非嫡出子を認知した後、未婚であった父母が結婚した場合は、婚姻準正となり、別途入籍届をすることで、子は父母の戸籍に入籍できます。

それでは、具体例で認知があった場合の戸籍の表示について見てみましょう。

次の例を考えてみます。

東京都中央区に本籍のある静岡太郎(妻は浜子)が、東京都豊島区に本籍のある鈴木花子との間に、平成2年3月3日に非嫡出子の一郎をもうけ、静岡太郎が平成5年5月5日に一郎の認知の届出をした。

認知者(父親)の戸籍

まずは認知者(父親)側の戸籍を見てみましょう。

下記に示す戸籍は、平成6年の戸籍改製で戸籍がコンピュータ管理されるようになる前の様式ですが、見覚えはありますか?

見ていただきたいのは、赤字の箇所です。

平成5年5月5日に、東京都豊島区に本籍がある鈴木花子の戸籍に同籍する一郎を認知した」旨の記載がありますね。

このように、父親である静岡太郎の身分事項欄に、認知をした旨の記載がされるのです。

静岡太郎は浜子と婚姻関係にあるため、静岡太郎と鈴木花子は結婚できませんから、一郎が静岡太郎の戸籍に入ることはできません。

ですが、上記のように父親の身分事項欄を確認することで、認知した子の存在を知ることはできます。

知っておこう!

父親の戸籍に記載された認知事項は、その後に転籍などで新戸籍が編製された場合、新戸籍には記載されません

そのため、父親の一番新しい現在の戸籍だけから、認知した子がいないと判断するのは危険ということです。

転籍における新戸籍の編製についても大切なので、ぜひご覧くださいね。

被認知者(子)の戸籍

それでは、被認知者(子)側の戸籍を見てみましょう。

非嫡出子である一郎を出産した、母親の鈴木花子が筆頭者となっていますね。

やはり、赤字の箇所をご覧ください。

まず本籍欄のすぐ左に「平成弐年参月参日編製」とありますね。

これは、平成2年3月3日にこの戸籍が新しく作成されましたよ、ということを表しているのです。

鈴木花子は未婚なので、一郎を出産するまでは、花子の父母の戸籍にいた、と推測できます。

しかし、未婚の状態で子が生まれた場合、父母と同籍する戸籍には、子は入れません。

理由は、三世代は一つの戸籍に同籍できないという大前提があるためです。

つまり、一郎を出産した花子は、それまでいた父母の戸籍から除籍され、花子自身を筆頭者とする新しい戸籍を編製し、そこに非嫡出子の一郎が入籍した、と考えられるわけですね。

一郎の身分事項欄をご覧ください。

静岡太郎により認知された旨の記載がありますね。

そして父の欄にも、認知されたことで静岡太郎の名前が記載されています。

このようにして、子もしくは父親の戸籍を確認することで、認知の有無を見分けることができるのですね。

今回は非嫡出子の認知についてでした。

非嫡出子も認知も戸籍も、すべて普段あまり馴染みのない言葉ですが、この記事を読まれた機会に、是非興味をもっていただけたら幸いです。